☆2002/04/15 大和田稔さん、ボストンマラソン参加報告(その2)

 ●4月12日(金) コース下見

 疲れているはずだし寝不足なので、かなり寝たと思っていた。目覚めると午前1時。カーテンをめくって外を見るが、間違いなく夜中。これが時差(−13時間)なのかと、これには愕然(ちょっと大げさ?)とした。時差など1日ぐらいで慣れると楽観していたが、これには最後まで苦しめられた。

 朝食をベーグル、牛乳、バナナ、オレンジジュースで済ませる。8時すぎにコース下見に出かける。ツァーでチャーターしたバスで、スタート地点のホプキントンへ高速道路で約1時間。高速道路は片側3車線で、日本製の車が多いし、日本でも外車が珍しくなくなり、あまり、違和感がなかった。大型トレーラーとスクールバスが日本で見かけないぐらいだ。

 スタート地点はホプキントンという田舎町。こぢんまりとした家で庭が広く、別荘地のようなところだった。スタート地点には「BOSTON NARATHON WELCOM TO HOPKINTON IT ALL STARTS HERE」の看板があり、「お約束」の記念撮影をする。少し肌寒い。スタートラインも引かれている。ここでも大会の準備が進められていた。
 当日のスタート位置が気になった。正式エントリーが17,000人らしい。その後ろにはノーゼッケンのランナーもいるという。

 バスでコースをなぞるように下見をする。コースは、ホプキントン、アッシュランド、フラミンガム、ネイティック、ウェルズリー、ニュートン、ブルックリン、そして、ボストンと全部で8つの街を抜ける。コースには、1マイル毎の表示と、5km毎の表示がすでにされていた。実際に試走できたのは、ハートブレークヒルが始まる30km地点ぐらいからの約2マイルだけだったのは残念で、ゴールまで走りたかった。ここから先は繁華街を通るため、コースを間違えやすいということで、走らせてもらえなかった。試走する頃には気温も上がり、ジャージでは汗をかくほどだった。町中には桜が咲き出していた。桜はアメリカでは珍しくないようである。
 楽しみにしていたハートブレークヒルは、思ったほどの上り坂ではなく、「たいしたことない」と思ったが、この坂がなぜ「心臓破りの坂」と言われるのかは、レースで走ってみてわかることになるとは・・・。

 コース下見は午前中で終わり、ゼッケンの引き換えが明日になったので、午後はボストン美術館に行くことにした。
 昼食は「米」が食べたくなり、ホテルの近くで中華にした。ビールが飲みたくなり、見回したら「ROOT BEER」があった。飲みたかった「BEER」ではなく、ドクターペッパーのような不健康飲料だった。子供達が飲んでいるのを見て気がつくべきなのに・・・。これには苦笑い。日本には、これをわざわざ通信販売で購入するひとがいるようだ。

 ボストン美術館へはホテルから1kmぐらい。時差ボケ解消もかねて歩いた。Tシャツで丁度いいぐらいに暖かい。途中にシンホニーホールがあり、日本人のポスターがあった。日本人とは小澤征爾である。21日のボストン交響楽団での最後のコンサートのものだったようだ。これを知ったのは帰国してからだった。

 ボストン美術館は広くて、大きい。そして眠かった。午後になると時差ぼけでとにかく眠くなる。展示品は世界中の美術品などが地域別に展示されていて、もちろん日本のものもある。日本のエリアにいると何処にいるのか不思議な感覚になる。エジプトのミイラは興味深かった。展示品の数とスペースはアメリカンサイズである。とても半日ぐらいでは見ることは出来ない。途中、睡魔におそわれ、展示品の一つになってしまった。

 街を歩いていて、ショートパンツにタンクトップの娘もいれば、セーターを着込んでいる娘もいる。それだけ暖冬でもあり、寒暖の差が大きいということらしい。実際に昼間は夏のようだし、夕方の風は冷たい。時差ボケのほかに、この寒暖の差にやられるとは思っていなかった。

 ボストンに行く前に参考にした、ホームページは
 ここ http://www.pockyboston.com/marathon/history.html です。

 つづく・・・