☆2002/04/15 大和田稔さん、ボストンマラソン参加報告(その1)

 ●ボストンマラソンについて
  (以下の内容は、あるホームページからの出典です。)

 ボストンマラソンは毎年4月19日に一番近い月曜日に行われ、その日はマサチューセッツ州のみの祝祭日。愛国者の日・ペイトリオッツデイという祝祭日で、ボストン郊外レキシントン&コンコードで独立戦争の一番最初の戦いが起きた日を記念している。ボストンマラソンの始まりもアメリカの独立戦争にあり、戦場レキシントン・コンコードまでイギリス軍が行進したのと同じ道を走ろうというのが最初のアイディアだった。しかし、それでは公式マラソンとしての距離が十分ではなく、現在のコースへと改められた。ボストンマラソンのコースには次の2つの特徴がある。

 1) 折り返し地点がなく、片道行ったきりのマラソン。
 2) 全体的に下り坂が多く、出発地点とゴール地点では141メートル
   もの行程差がある。

 下り坂が多いのに30km過ぎから35kmぐらいまでダラダラの上り坂があって、これを有名な心臓破りの丘(ハートブレイク・ヒル)と呼ぶ。
 記念すべき第1回目は1897年に行われ、連続して続いているマラソンとしては世界一古いものである。最初の70年間は男性のみしか参加できなかったが、1970年より女性も正式に参加できるようになった。
 ボストンマラソンのスタート・ゴール地点は、いままで何回か変更されてる。1923年までは、スタート地点はアッシュランドだった(現在はホプキントン)。またゴール地点は、3回変更されてる。1964年まではB.A.A.のクラブハウスがあったレノックスホテルの前。その後1985年までは、スポンサーだったプルデンシャルビルの前(それを記念する銅像が残る)。そして1986年からは、ボストン公共図書館の前になった。現在のスポンサー・ジョン=ハンコックの自社ビルに近くなったというわけである。

 多くの人々でにぎわうボストンマラソンだが、他のマラソン(ボストンマラソンはコースに起伏があり、なかなかいい記録がでない場合が多い)がほとんど同時期に開催されることや、ボストンマラソンが大衆化しすぎているという理由のために日本陸連はトップランナーを派遣しない傾向にあり、日本選手の優勝者は1987年の瀬古利彦が最後。

BAA;Boston Athletic Associationの略。
    ボストンマラソンを主催している。
    ボストンマラソンのロゴマークは一角獣・ユニコーンで、ゴール
   ラインの上にも描かれているし、T-シャツなどのマラソングッズに
   は必ずついているBAAのシンボルマークである。

 ●11日 ボストン入り
 2匹の猫の世話を友人に頼み、何か忘れ物が有るのではと不安になりながら、前日に慌てて荷物を詰め込んだスーツケースを持って自宅を出たのが午前6時過ぎ。「食洗機をまわすのを忘れた!」と、「かみさん」。待ち合わせの時刻が迫っているので戻るわけにもいかず、そのまま集合場所の松戸体育館に。家族同伴の人もいるので、にぎやかだ。  もちろん、遠方の人(山口県や岩手県など)は、成田空港待ち合わせである。いよいよ本当にボストンに行くことをここまで来てようやく実感してしまう。それほど、ボストンマラソンを走れるなんて信じられなかった。
 大型バス1台を貸し切り、成田空港へ。今日は曇り空で肌寒い。ボストンはもう少し寒いのだろう。
 20人の派遣選手のうち、足首捻挫とビザが下りなかったという、信じられないことで2名が急遽不参加となっていた。ジョン・マイタイくんと仲良くなってケニヤに高地合宿に行こうとたくらんでいたのに・・・。
 全日空002便で予定通り11:10に成田を立ち、ワシントンダレス空港に向かう。12時間半の飛行時間は退屈するかと思っていたが、食事に酒、ビデオを見たり読書(今頃、観光ガイドブックを読みあさる)をしたりして、以外に短かった。
 ワシントンダレス空港には、定刻の10:40に着く。周りは牧場の田舎の空港であった。天候は晴れ。ここで、国内線のユナイテッド航空に乗り換えたのだが、例のテロ事件以来持ち物検査が厳しく、ナイフはもちろん爪切りやまつげの手入れの道具(名前が・・・)まで、機内持ち込み禁止になっていて、ペンダントを没収された人がいたのには驚いた。小さなハサミがついていたらしい。うちの「かみさん」、踵の高い靴を履いていたため、靴を執拗に検査された。ボストンまでは、約1時間半だった。
 成田をたって約17時間、いよいよボストン入りしたのは、午後3時過ぎ。晴れていて暖かい。17、8℃ぐらいか。北海道(札幌あたり?)に相当するので、寒さを覚悟していたので、拍子抜けである。今年はここでも暖冬だった。ボストン・ローガン国際空港は大きくはないが羽田空港のように、繁華街と目と鼻の先だった。バスでホテルへ移動する。ボストン市内は高速道路を地下にする工事をいたるところでしていた。途中、チャイナタウンを通るが、世界中にあるようだ(それほど世界を歩いてはいないのだが)。
 ホテルは、「ザ ウェスティン ホテル コプリー ブレイス ボストン」。サマータイムのため午後4時でも日が高い。JTBの添乗員にホテルのまわりを案内してもらい、ホテルから通りに出ることなく、モール街を歩けるにぎやかな所だとわかる。ホテルの、向かいはボストン図書館で、図書館の向こう側はボストンマラソンのゴール地点。ボストンマラソンのゴールに、一番近いホテルだった。街の中は15日の大会向け、準備中であったが、ゴール地点を確認したときは、本当にボストン来たんだと、感激した。
 早く寝たい気持ちもあったが、ジョギングにでる。風は、さすがに冷たかった。チャールズ川沿いの公園は走るのに最適だった。リスがいた。公園にいるハトのように、人見知りしない。40分ぐらいで切り上げるが、メインの通りから一歩奥に入ると煉瓦づくりのビルとガス燈のある住宅街で落ち着いたところだった。夕食は、楽しみにしていたピザ(肉厚で大きく安い事を期待していた)とパスタとビール。これで30ドルは高いし、期待していたピザではなかった。帰りがけに、これも楽しみにしていたベーグルを朝食に買い込む。日が暮れて、酒が入るとさすがに眠い。ホテルに戻ると、イチコロだった。

 つづく・・・